ウメ

屋久島の女。25歳。14歳の時、婚約者がいるが島の外からやってきた地質学者と恋仲になる。許されぬ恋に身をやつすが地質学者は島を追放。それ以来ずっと恋人が帰ってくるのを待ち続けている。のちに気がふれ、山姫となる。山姫伝説は今もなお屋久島の土地に実際に伝わっている伝承である。

ヒャクガン

11年前、島の外から来た地質学者。32歳。ウメと恋に落ちるが、島を追放される。その夜、乗っていた船が嵐に飲まれて転覆。海に飲まれて帰らぬ人となる。

ホウシ

ウメの婚約者。29歳。ウメの心が自分に戻ってくるのを待ち続けている。

*    *    *    *

エリザベート・バートリ

チェイテ城に住み、自分の美貌を保つために600人の処女の生き血をすすった通称「血の伯爵夫人」。50歳。数々の拷問器具を発案し、村の娘から血を搾り取っていく。かの有名な拷問器具「鉄の処女」を発明したのも彼女。1614年、51歳で裁判に掛けられその高貴な身分故に処刑は免れるもチェイテ城に幽閉。孤独の中、54歳で死去。

下男フィッコ

ナダスディ家の下男。エリザベートのお気に入り。罪に苛まれながらも、エリザベートの血の宴に加担する。

侍女ヨー・イローナ

ナダスディ家の侍女にして4人の子供たちの乳母。フィッコ同様にエリザベートの鬼畜の所業に加担する。

ドルコ

イローナの助手。イローナを手伝う。

フェレンツ・ナダスディ

ハンガリーの屈指の名家・ナダスディ家の当主。エリザベートの 夫。エリザベートが44歳の時に死亡。

*    *    *    *

串刺し公

エリザベートとウメの妄想が生んだ怪物。鳥の頭をしている。「血をすすれ」とそそのかす。狂気を象徴するものとして輪郭のない鳥たちと共にふたりの前に姿を現す。またの名をヴラド・ツェペシュ。

 

 

OVERTURE 屋久島





    程良く間断のあるリズムで発せられるイメージの連鎖により、
    風景が形作られていく。

語り部 「波の音。風の音。波の音。風の音。波の音。風の音。波の音。風の音。波の音。風の音。波の音。風の音。波の音。風の音。波の音。土の匂い。風の音。木々のざわめき。波の音。雨の予感。土の匂い。雨の匂い。風の匂い。海の匂い。深呼吸。深呼吸。深呼吸。 深呼吸。 意識を広げていく。空が見える。足下には雲が見える。地上に向かって。意識が下降する。下降する。分厚い雲をくぐり抜け、意識は下界を見渡すことができる。海が見える。網膜が青く染まる。小さな島が見える。海に囲まれたその島は深い森に覆われている。木々はまるで黒のような緑を携えている。島の上空を鳥が飛んでいる。白い鳥。毛並みもなにもわからない。ただ輪郭だけを持った白い鳥が飛んでいる。輪郭だけの鳥たちははどんどんと増えていく。どんどんどんどん鳥たちが増えていく。島の空が輪郭の鳥たちで埋め尽くされる。輪郭の鳥たちは森の中央を目指して飛ぶ。大きな大きな千年杉の袂。鳥たちがたつまきのように千年杉の袂に吸い込まれていく。そのたつまきの中心にひとりの女が立っている」

    空を舞う意識は、いつしか女の体に入り込んでいる。

語り部 「女の名前はウメと言う。ウメの目の前にひとりの男が現れる。いや男のような気がするだけで実際には男ではないのかもしれない。その男かもしれない何者かは鳥の頭をしている。かぶり物だろうか。そう思う間もなく鳥頭が固いくちばしを開き、ウメに向かってこう尋ねた」

串刺し公「気分はどうだい?」

ウメ  「体の中が温かい。まるで全身の血が煮えているよう。体の乾きが消え失せたわ。ねえ、串刺し公、ホントにあなたの言う通りにしていればあの人に会えるのね。あたしはあなたを信じてもいいのね。だったら、あたしは10年でも100年でも1000年でも待ち続けるわ。もう一度あの人に会えるのなら───」

 

語り部 「ウメの足下には男が倒れている。男の首筋が赤く濡れている。ウメの口元も同様に濡れている。それは血だ。ウメが串刺し公と呼ぶ鳥頭の男が口を開く」

串刺し公「ウメ、血を飲むんだ。もっともっと血を飲むんだ。そうすればキミは老いることなくずっと若いままの姿で入られるんだ。そして待ち続けるんだ。想い人を。きっと彼は帰ってくる。それまで若いままで待ち続けるんだ。血を吸うことは苦痛だろう。いつかきっとキミはその罪に耐えることができなくなるだろう。だからウメ、僕がキミに名前をあげよう。キミに新しい名前をあげよう。ツミを犯すのはキミじゃない。新しい名前のキミなんだ。だから、気に病むことはない。きっと新しいキミがたくましくやってくれるさ。ウメ、キミに新しい名前をあげよう。そう、キミの新しい名前は、山姫だ」

ウメ  「…………山姫…………………………」

    鳥頭の串刺し公がウメに狂気の息吹を吹き込んでいく。
    ウメの形相が鬼の様に変貌する。
    ウメはもうひとりの自分「山姫」へと姿を変える。
    山姫は狂ったように舞い続ける。








第一章 ウメとヒャクガン





美しく老いることは至難の業だ。

              Andre Gide






    小さな島がにわかに騒がしくなる。

村人1 「山姫だ。山姫がまた出たぞおおおお!」
村人2 「もう村の人間が何人もやられている!」
村人3 「山姫は人間じゃない!」
村人4 「鬼だ。山姫は血を吸う鬼なんだ!」
村人5 「山姫は笑いながら噛みついてくる!」
村人6 「山姫が笑ってもつられて笑っちゃいけない!」
村人7 「笑い返せばたちまち血を吸われてしまうぞ!」
村人8 「血を吸われたくなかったら山姫を怒らせればいい!」
村人たち「山姫は、笑った人間の血しか吸わない!!」

語り部 「村には様々な噂と憶測が飛び交った。屋久島に現代まで伝わる吸血鬼「山姫」の伝説。普通の島の女であった彼女がなぜ山姫となったのか。それを知るためにはまず時間を少し遡らなければならない。11年前。1905年・屋久島。島のひとりの女が島の外からやって来た人間と恋に落ちた。女の名はウメ、男の名はヒャクガンといった。ヒャクガンは屋久島の自然林の調査のために政府が使わした地質学者であった。島の案内役であったウメとヒャクガンは一目会ったその瞬間、10月の嵐のように激しく恋に落ちた。しかし、外から来た人間に対して排他的であった村の人間たちは二人の仲を許さなかった。外の血が入れば島に災いを呼ぶと。そもそもウメには島で決められた婚約者がいた。婚約者は島の権力者の息子であった。そんなウメが島の外の人間に惹かれていくのを島の人間がよく思わないわけない。二人はそれでも村人たち目を盗み逢瀬を重ねたが、業を煮やした村人たちたちによってついにヒャクガンは追放されることとなった。ウメとヒャクガンはその別れ際に誓いを交わした。いつか迎えにくるからその時一緒になろうと。ウメ言葉を信じて迎えが来るのを待ち続けた。いつかヒャクガンが現れてこの島から自分を連れだしてくれる日を夢見て。そして、月日だけが過ぎ去っていく ……」

      ウメの独白。

ウメ  「ヒャクガンさん、ヒャクガンさん。あたしはあなたをオシタイモウシアゲテオリマス。。来る日も来る日もあなたを思わぬ日はございません。あなたはあたしと約束をしてくれました。必ず戻ると。一緒に暮らして添い遂げようと。あたしは1年待ちました。あなたは帰ってきませんでした。でも、あたしはあなたを信じています。なぜならあたしはあなたのことを愛しているからです。あたしはそれから2年待ちました。あなたは帰ってきませんでした。あたしはあなたを信じています。あたしはさらに8年待ちました。やっぱりあなたは帰ってきませんでした。ヒャクガンさん、ヒャクガンさん。どうしてあなたは帰ってきてくれないの? あたしのことを忘れてしまったの。あの日の、手に手を取り固く誓い合った約束をどこかに無くしてしまったの? ある人はあたしは騙されたのだと言います。ある人はあなたは本地の妻子と幸せに暮らしているのだといいます。ある人はあなたが島を出たその夜に嵐に飲まれて死んでしまったのだといいます。やめて! やめて! どうしてみんな嘘を言うの!? ヒャクガンさん、ヒャクガンさん、あたしはあなたを信じています。あたしはこれから10年待ちます。20年待ちます。100年、1000年だって待って見せます。1000年は屋久島の杉は枯らせても、あなたをお慕いするあたしの気持ちを枯らすことはできません───」

語り部 「村人たちはそんなウメの姿を見て腹立たしい思いを募らせていった。美しい娘であったウメ。村の男たちの中にもウメに思いを寄せる男が何人もいたのだが、ウメはヒャクガンへの思いを途切らせることはなかった。ヒャクガンに出会う以前、すでに婚約島のあったウメであったがその婚約の誓いは反故となった。男たちのウメに対する好意は次第に憎しみへと変わり、ある日、ウメの前に村の男たちが詰め寄った」

    黒い男たちの影がウメの体に覆い被さる。

男たち 「オシタイしたって無駄さ。オシタイしたって無駄さ。奴はシタイになったのさ。首をくくって死んだのさ。もうこの世にはイナイ。それよりも俺はおまえとシタイ。俺はおまえをオシタイしているからシタイんだ。シタくてシタくてたまらないんだよ」

ウメ  「ああ、ヒャクガンさん。ヒャクガンさん。村の男の汚い言葉を聞く度に、卑しい顔を見る度に、あの下劣な腕に抱かれる度に、あたしの体は乾き、あたしは胸は痛んだいきます。オシタイとはこんなにもイタイものなのでしょうか。下劣な男たちは何度も何度もあたしの体を抱きました。あたしはその度に胸を痛めます。痛んだ胸にぽっかり穴が開きました。その穴の中からある日、彼が現れたのです。鳥の頭をした不思議な人。串刺し公と呼んでくれ、彼はあたしにそう言いました」

串刺し公「そう、串刺し公だ。変わった名前だろ? 自分で考えたわけじゃないんだが結構気に入っている。キミはいつまでそうしているつもりだい。キミもホントは知っているんだろ。彼がもう死んでこの世にはいないってことを。キミだって聞いたはずだ。彼の最期を。キミは信じたくないんだ。彼の死を。彼はキミのすべてだった。彼がこの世から消えてしまえばキミの世界が崩れ去ってしまう。だから、キミは彼を待ち続けるんだ」

ウメ  「どうしてそんな嘘をつくの? あの人は死んでなんかいない。きっとあたしを迎えにきてくれる! あたしにはわかるの! だから嘘をつかないで。聞きたくない! ああ、聞きたくない。みんなの嘘があたしの体の中に毒のようにたまっていくわ。苦しい。苦しいよ。どうしてひどいこと言うの!? もう放っておいて! あたしにかまわないでえ!!」

串刺し公「……ねえウメ、ひとつだけ方法があるんだ。キミが彼と結ばれる方法。彼が生まれ変わってくるのを待ったらいいんだ。彼は生まれ変わってもきっと約束を覚えてくれてキミを迎えにきてくれるよ」

ウメ  「でも、どうやって待てばいいの? あたしはどんどん年老いてそのうち干からびた椎茸みたいなお婆ちゃんになってしまう。きっとヒャクガンさんはあたしだってわかってくれないわ。それにそんな醜い姿をヒャクガンさんに見られたくない」

串刺し公「だったらいつまでも若い、今のキミの姿で待ち続ければいいんだ」

ウメ  「そんなことができるの?」

串刺し公「可能さ。キミにその気があればね」

語り部 「そう言って、串刺し公が踵を返すと世界が反転する」







第二章 血の伯爵夫人






人々は決して知らないだろう。
娘たちを鞭打ちながら、エリザベートが誰よりも血を流し、
誰よりも声高く内部で哭き叫んでいたことを。
犯され奪われ殺されていく娘たちを、いかに激しく羨んだか。

                    桐生操『血の伯爵夫人』






語り部 「1608年ハンガリー。チェイテ城・地下室。串刺し公はその殺風景な部屋の片隅で事の一部始終を見守っている。14歳でナダスディ家に嫁いできたエリザベート・バートリの生涯は、常に暴力と肉欲にまみれていた。従者を鞭で痛めつけ、近親相姦を繰り返し、粗相をしたものは気を失うまで殴られる。それが国内屈指の名家と謳われたバートリ家の日常であった。彼女が44歳の時、夫であるフィレンツ・ナダスディがこの世を去る。そしてエリザベト・バートリはこの城で唯一の主となった。薄暗い地下。冷たい石造りの小さな部屋はまるで牢獄を思わせる。エリザベート・バートリは天井から鎖でつるした何人もの美しい女たちを眺めていた。女たちは一糸まとわずに白い肌を露出させている。それは白い陶器を思わせる。その顔は恐怖で引きつっている。エリザベート・バートリは女の柔らかい乳房にナイフを突き立てる。ゆっくりとゆっくりと。ナイフの刃が肉に食い込んでいく感触を確かめながら。女は声にならぬ声でにぶい断末魔をあげる。鮮血が飛ぶ」

    エリザベート・バートリは女たちを手に持ったナイフで次々と刺していく。

語り部 「エリザベート・バートリは美しい女の腹から吹き出る血のシャワーを浴びながら虚ろな表情を浮かべている」

エリザベート「美しい娘たち。まるで蜜を塗ったみたいに肌が瑞々しさで溢れている。なんて綺麗なの。素敵よ。素敵だわ。それに比べてわたしの肌は枯れ木のようにかさかさに乾いてしまっている。まるで干上がったドナウのよう。かつてわたしもあなたたちのように美しかったのだろうか。もはや思い出せない程に私の体は枯れてしまっている。でもこうして、あなたたちの美しい血を体に浴びる度にわたしの体がかつてのような瑞々しさを取り戻していく。血は蜜。あたしの肌を潤わせてくれる。血は蜜。あたしの錆びた心を洗い流してくれる。血は蜜。どんな蜜よりも甘美な秘密。ああ、足りない。足りないわ。どれだけたくさんの血を浴びてもすぐに渇いてしまう。もっと血を。もっと血を。鳥頭の串刺し公、どうすればいいの。わたしはあなたの言うとおりにしているのにわたしの体は干からびることを止めようとしない。いやよ、そんなのいや。わたしはいつまでも美しくありたいの。永遠の若さを。朽ちることのない命を。串刺し公、串刺し公。わたしの道しるべ。かつてヴラド・ツェペシュと呼ばれ二万の血肉をむさぼり続けたワラキアの血の悪魔、あなたなら知っているはずよ。命の秘密を。この血の美容法のさらにその先を。どうすれば、どうすればいいの!? 教えて! 教えて!! ……そう、そうなのね。身分の低いものの血ではダメなのね。もっと身分の高い血を。高貴な血を。ありがとう、串刺し公。貴方の言うとおりにするわ、わたしの道しるべ。フィッコ、フィッコ。わたしの愛する下男。お願いがあるの。そう、沐浴の時間よ。早くしないと骨まで渇いてしまうわ。急いでヨー・イローナに伝えて。バスタブに湯を!!」

    エリザベートたちによる血の搾取がはじまる。
    その様、まるで気狂いのダンスのよう。

フィッコ「高貴で誇り高い私のエレザベート・バートリ。このフィッコはあなたのためならこの命も惜しくはありません。わたしが一番恐れるのは高貴なエレザベート・バートリ、あなたを損なってしまうことです。この度新しく派遣された後任の神父があなたに嫌疑の目を向けています。あまりにも弔う死体が多すぎるからです。いや、もはや疑惑は確信に変わっていることでしょう。血を搾り取った娘たちは疫病で死んだと偽ってまいりましたが、疫病などこの国のどこにもないことに若い神父は感づいたのです。町娘を拐かしているうちはまだよかった。高貴なあなたが下賤のものをいかようにしようとあなたにはその権利があった。それは神があなたに与えた血筋という名の絶対の権利だ。だが、下級貴族の娘に手を出したのがいけなかった。身分は低いといえど貴族は貴族。貴族院へ訴えが上がれば、愚かな王とて見過ごすわけにはいきますまい。裁きの手が我々に差し迫ってきております。お逃げください。お逃げください。お逃げください。しかし高貴なエリザベート・バートリ、あなたは串刺し公などという幻の声にばかり耳を傾け、この哀れな下男の声をお聞きくださろうとしない。なぜこんなことになってしまったのか? 高貴なエレザベート・バートリ、あなたの高貴は狂気に飲み込まれてしまったのです。あなたが今まで飲み干した600余名の娘たち血に、あなた自身が飲み干されようとしているのです。数多の娘をあのおぞましい鉄の処女で串刺しにして血を搾り取ったように、あなたのその高貴な魂もまた血を絞られるのです。あなたを串刺しにする鉄の処女の扉がゆっくりと閉ざされようとしています。高貴なエリザベート・バートリ、せめてあなたの最期が平穏に包まれますよう、この哀れな下男はたたただ祈るばかりです」

語り部 「1611年、エリザベート・バートリの悪魔のような所業は正義の神父の告発により、ついに白日の下に晒されることとなった。エリザベートは議会によって拘束されることとなる。永遠の美を求めて600人以上の娘たちの血をすすり、のちに血の伯爵夫人と呼ばれることとなるエリザベート・バートリの目も眩むような鬼畜の所業の顛末である。翌年の1612年、エリザベート不在のまま裁判は行われ、エリザベートの犯行に加担した下男フィッコ、侍女ヨー・イローナ、馬番ドルコは火刑に処された。ハンガリーの国王マティアスは血の伯爵夫人の処刑を望んだが、国内でも有数の名家であるバートリ家とナダスディ家から出された嘆願書により彼女は処刑を免れることとなった。エリザベートは惨劇の舞台ともなったチェイテ城の塔の部屋に幽閉されることとなった。外界と接触ができぬよう扉や窓が塗り固められた石の部屋。チェイテ城の四隅にはエリザベートを吊す代わりに、四つの絞首台が置かれた。絞首台たちはまるで生涯をかけて愛し抜いた伴侶の最期を看取るかのようにエリザベートの最期に付き添っていた。チェイテ城は今、かつてとはまったく異質の死の予感で満たされている。部屋の片隅に置かれたベッドの上にエリザベートが腰掛けている。エリザベートの周りには小さな鳥が飛んでいる。まるで生気のない輪郭だけの鳥たち。鳥たちは狭い部屋の中を飛び交っていたが、密閉された部屋の外に出ることはできなかった。部屋の片隅に鳥頭をした串刺し公が座っている」

エリザべーと「串刺し公、私の道しるべ。どうしてこんなことになったのかわたしにはわからないわ。どうして美しくあることを咎められなければならないの? どうして命を求めることが罪に問われなければならないの? あたしはただ永遠に美しくありたかっただけ。あたしを貶めたものたち。あなたたちだって同じはずよ。美しいまま幸せな時間が永遠に続けばどれだけよいだろうか? あたしは自分の気持ちに正直であっただけ。あなたたちは自分を殺して、嘘をついて、わらを運ぶくたびれたロバのように俯きながら生きて、死んでいく。ホントは老いたくなんかないくせに。ホントは死が恐ろしくてたまらないくせに。見てみぬふりをしてやり過ごそうとしている。わたしはそうではなかった。心の赴くままに貪欲に美に命に手を伸ばしたわ。あなたたちはそんなわたしのことがホントは羨ましくて羨ましくて我慢できなかったよ。嫉妬の炎で燻された卑しいあなたたちは、だからわたしをこんな目にあわせたの。負け犬はあなたたちよ。わたしは誰にも屈服しないわ。誰にも私の誇り高い精神を汚すことはできない。そこでそうして地面をはいつくばっていればいいんだわ。あはははははははは。……ああ、渇く。喉が渇いて干からびてしまう。胸が焼けるようだわ。(体を這う手が顔に触れる)これは……皺? 皺だわ! あたしの顔に皺が! なんて深い皺!! まるで1000年生きた枯れ木のように深い皺だわ。髪が…髪が……あたしの髪の毛も抜け落ちていく! あたしの歯がどんどん腐って朽ちていくわ!! ああ、串刺し公、串刺し公、ヴラド・ツェペシュ、私の道しるべ。お願い、わたしをまた前のように導いて。この老いを止めるにはどうすればいいの!? どうすれば……!? どうして黙っているの串刺し公。お願い、なんとか言って! わたしはどうすればいいの!! 早くしないと皺が……皺が…………」

語り部 「串刺し公はなにも言わずにただその光景を眺めている。エリザベートの体にみるみる皺が刻まれていく。髪は抜け落ち、歯は腐り、耳はそげ、見るも無残な老婆へと姿を変える。血を…血を……今にも朽ち果てようとするエリザベート・バートリはなおも美を永遠の美を追い求めて天に手を伸ばす……。串刺し公はエリザベート・バートリの狂気に満ちた半生の一部始終を見届けた。串刺し公が踵を返すと再び世界が反転する」







第三章  ヴラド・ツェペシュ





ひとたび汝が声 心の絃に添うや
地の人百たり 人為の埒を越えて
天馬のたかぶり 血を吐く愛の叫び
自由の精気を 輝く霊の影を
あつめし瞳の涯なき涯を望み
黄金の光を歴史に染めて行ける
彫る名はさびれたり
かしこに ここの丘に
墓碣……おしえのかたみを我は仰ぐ

           石川啄木『沈める鐘 序詩』






語り部 「1916年・屋久島。まるでエリザベート・バートリの深い皺を思わせるいびつに毛羽立った樹皮に覆われた千年杉の袂にひとりの青年が立っている。名をホウシという。ウメがヒャクガンと出会う前、婚約者であった男である」

ホウシ 「あの男が現れてからすべてが狂い始めたんだ。11年前、あの男さえ現れなければ婚約の契りの通りに僕とウメは夫婦になって、ウメは僕の子を生み、僕の妻として、僕の子供の母親として人生を全うするはずだった。それがどうだ。ウメはあの男と出会ってからというもの、あの男のことで頭がいっぱいだ。まるで許婚の僕などはじめからいなかったかのように、ウメの世界はあの男の色に染まりきってしまっている。島の権力者であった父に頼んであの男を島から追放しても、あの男が嵐に飲まれて死んだと聞いてもウメの心は変わらなかった。馬鹿な女だ。嗚呼、馬鹿な女だ。馬鹿な女には自分が如何に愚かであるかを理解させる必要がある。僕は仲間たちに頼んでウメの体を陵辱させた。服を剥ぎ取られ、肌を舐られ、ウメは僕の目の前でなんどもなんども犯された。なんどもなんども。さあ、ウメ、あの男を忘れろ、ヒャクガンを。そして、僕のことを愛していると言え。そうすれば、僕がキミを救い出してあげるよ!! しかし、キミは決して僕のことを愛してはくれなかった。毎日毎日何人もの男に嬲られるうちについにウメの気は触れ、屋久島の森をうつろなまま徘徊する哀れな気狂いとなった。……ある日、僕に天罰がもたらされた。体の中の悪い細胞が無限に増殖を続け、体を食いつぶしてしまう不治の病だ。キミに酷い仕打ちをした罰なのかもしれない。ウメ、僕はじきに死ぬだろう。そう遠くない未来に僕の命は果てるだろう。ウメ、僕はキミのことが好きなんだ。まだ互いのことを知らぬ幼いあの日、はじめて許婚としてキミと出会ったあの日から僕はキミのことがずっと好きなんだ。キミが僕を愛してくれなくても僕はキミのことを愛している。ウメ、キミはきっとその人生をかけてヒャクガンを、あの男を待ち続けるのだろう。キミが僕の人生の一部にならないのなら、僕がキミの一部になろう。ウメ、キミは待ち続ける。10年でも100年でも1000年でも待ち続ける。その体が朽ちても、その魂が彷徨ってもずっとずっと待ち続ける。僕はキミの一部となって、待ち続けるキミの支えとなろう。いつか本で読んだ血の伯爵夫人の数奇な運命。永遠の美と生を得るために600人もの人間の血をすすり続けた高貴なる血の伯爵夫人。彼女が自ら作り上げた串刺し公という名の狂気に支えられたように……僕はキミの狂気になる……」

語り部 「男は目の前にある鳥の頭の仮面を手に取り、それをゆっくりと自分の頭にかぶせた。仮面は男の顔面の皮膚と溶け合い、やがてそれが男の顔となった」
ホウシ 「僕はヴラド・ツェペシュ。人は僕の事を串刺し公と呼ぶ。ウメ、僕はキミの狂気だ……」

語り部 「男が踵を返すと世界にたつまきが起こる。たつまきは屋久島の空を飛ぶ輪郭の鳥たちを巻き込んでいく。やがてそのたつまきは世界を丸ごと巻き込んでいく。屋久島の女ウメと血の伯爵夫人エリザベート・バートリの狂気が交錯する」







第四章 山姫






    ウメとエリザベート、時を越えた魂の交差。

ウメ・エリザベート「血よ。血が必要なの。串刺し公、もっと血を、血を用意して。フィッコ、フィッコはどこに行ってしまったの? ヨー・イローナは、ドルコはどこに行ったの? ああ、助けてフィレンツ、わたしの最愛の夫。どうして誰も返事をしてくれないの! 誰か、誰か返事をして! わたしをひとりにしないで!! ああ、渇く! なにもかもが渇いてしまう!あたしの体が干からびてしまう。ダメよ、そんなのダメ。ヒャクガンさんがあたしだってわからなくなってしまう。あの人とはじめて会った14のままのあたしでいなくちゃ。ああ、ヒャクガンさんヒャクガンさん、あたしはあなたをオシタイ申し上げております。だから……だからあたしを見捨てないで! 血よ! もっと血を飲まなければ!! 串刺し公、あたしの道しるべ、血を!! もっと血を!!」

語り部 「ウメの、いや山姫の体がどんどん干からびていく。肌は黒ずみ、表面には深い皺が刻まれていく。それはまるで今際の際のエリザベート・バートリのように荒れ果てた大地を思わせる見るも無惨な様だった。ひび割れのような皺が山姫の体を締め付ける度に山姫は血を欲した。山姫は血を飲み続けた。誰だかわからぬ男の血を。男はいつも笑っている。山姫もその笑顔に答えるように微笑みながら血をすすった。やがて、男の体が力無く崩れ落ちる。男の顔から鳥の形をした仮面がずれ落ちる。男はかつてのウメの婚約者であった男だ。男は自らの血を愛する女に捧げていたのだ。しかし、かつてウメであった女にはもはやそれが自分の婚約者であったことを思い出すことすらできない。血を。血を。山姫はただ血を追い求める鬼となった。その傍らには串刺し公が悲しくたたずんでいる。それは果たして誰の狂気のなれの果てか。ウメか、血の伯爵夫人か、愚かな婚約者か、哀れな下男か、海の藻屑と消えた学者か。それは誰にもわからない。やがて山姫は屋久島の600余名の血を吸い続け、屋久島の伝説となった。一説には山姫は山で子供を産み落とし、そのまま命を落としたとされている。一説には山姫は今もなお生き続け島の男の血をすすり続けているという。これが屋久島に伝わる山姫伝説の一部始終である。やがて、すべては乾き果て砂となって空に舞う。空にはただ風だけが吹いている。風の音。風の音。風の音。風の音。風の音。やがて風が止み、そこには死の予感だけが香る。屋久島の森が狂気の闇に沈んでいく。串刺し公が身を翻すと世界は反転し、そして最後にはじけて消えた────」





                                      『屋久島の女』おわり







※本作品の上演を予定される場合はいかなる場合でもピースピット(peacepitweb@hotmail.com)まで「上演許可願い」をお届けください。無断の変更等などが行われた場合は上演をお断りすることがあります。