2005年11月1日[火]
いつもピースピットに出てくれている月曜劇団の上原日呂くんから公演宣伝用のための推薦文を頼まれて書いたんだけど渡す機会がなくて渡せなかった。ごめん、上原くん。でも、同じく推薦文を書いていた石原正一さんや山浦徹さんとなんとなく同じ内容だったのでよかった。まあ、せっかく書いたのでここに載せとこっと。

上原日呂くんから今度の公演の紹介文を頼まれたんだけど、上原くんの劇団も上原くんの演出も観たことがない。なので紹介のしようがない。だからここでは上原くん自身を紹介しようと思う。まず上原くんといえば背が高い。上原くんといえば眼鏡が似合う。上原くんといえば中華料理屋のせがれだ。上原くんはああ見えてファンキーだ。上原くんといえば上原くんといえば……駄目だ、もうネタが尽きた。改めて考えてみると上原くんのことすらあまり知らない。あ、そういえば最近彼女ができたって言ってた。うん、そこだな。上原くんの一番の魅力といえば最近彼女ができたことだ。恋してるときっとパワーのある芝居を作ってくれるはずだ。恋する男の作る演劇が面白くないわけない。 みなさんも恋の力を信じて上原くんの芝居を観に行ってみてください。そういうわけで、公演初日までに破局しないことを祈ってまーす。ではでは。



2005年11月2日[水]

ここんとこは相変わらず毎日『オウルズ・マップ 対抗戦』の稽古。稽古場では、僕が怒ってて片岡くんが怒ってて木原くんが怒ってて、まあそれは作品をよくするためにみんなの成長を促すために怒っているわけだけど、最年少の栗山陽輔メンバーまで僕らのような怒り方でみんなに駄目出しをしはじめた。「なんべん同じこと言わせんねん!」みたいな。「ああ、傍目に見れば僕もこんな感じなんだろうな」と思った。今度から怒る時はせめて「ですます調」を心がけたいと思う。「何度同じことを言わせるんでございますか!」みたいな。でも、言葉が丁寧になると喋る字数が増えるんだよなあ。それがタイムロスにつながるし。それにしても、稽古場で怒るたびに自分が傲慢な感じして嫌なんだけど、怒らずに危機感を感じてもらえる方法はないんだろうか。結局怒鳴ったりしないと現状がわからなったりもするし。チーム梟の発表まであと二日。チーム駒鳥まであと三日。稽古場での発表公演といえど、全力を尽くしていきたい。

でも、ホントのホントは笑いながら気楽に芝居を作っていきたいのだ。

写真は作製中の『ニャンプー』本チラシ。日々、完成に近づいていく喜び。裏面にもそろそろ着手しなくては。






2005年11月3日[木]
昼。京都にて水と油というカンパニーの新作『Patchworks2』を観劇。素晴らしいパフォーマンスの連続だった。今回は番外的な作品だったそうなので、本公演も是非観てみたいと思った。夜から大阪港の赤レンガ倉庫にて舞台美術に関するシンポジウムに参加。趣旨がよくわからなかったので現場に行ったらなにかわかるだろうと思ったが、行ってもよくわからなかった。あとで観に来ていた武信さんに聞いたら武信さんもわからなかったそうなのでたぶんわからなくてよかったのだと思う。僕の隣に座ったなんたら言う劇団の主宰さんがやたらトークレベルが高かった。それだけが印象に残った。



2005年11月4日[金]
『オウルズ・マップ 対抗戦』最後の稽古日。明日からいよいよ本番だ。たった一ヶ月間の稽古だったのになんと長い道のりに感じたことか。残された課題は、世界最高峰チョモランマのように空高く積み上げられている。アルピニスト野口健のように頂を目指してがんばろう。滑落注意。さて、本日は『オウルズ・マップ 対抗戦』最後の野外稽古。僕らに懐を貸してくれた扇町公園に報いるためにも最後の最後まで前進あるのみだ。もうすぐ一年にも思えた一ヶ月が終わる。『オウルズ・マップ 対抗戦』が終わるとHYTは折り返し地点。残りの三ヶ月をまるで十年にも感じるように濃密に過ごしていきたい。

余談だけど、ハーフイヤーシアターは三部作にしようと思ってそろそろ来年の計画も立て始めている。今回のpart1を踏まえてかなり内容は変える予定。稽古場を仮想現実と見立ててその世界でキャラクターと演技をカスタマイズしていく。そしてそこで生まれたキャラクターや出来事を物語として組み上げていく。TTRPGを演劇仕様に構築しなおして、半年間かけて全員で「世界」を立ち上げていくといった感じ。「稽古場」のスピンオフが「公演」となるのだ。これを「システム・エチュード」と名づけることにした。



2005年11月5日[土]
ピースピットハーフイヤーシアター10月ワークショップ『オウルズ・マップ 対抗戦』、チーム梟の発表日。贅肉を削ぎ落とし物語と人物だけを研ぎ澄ませて見せる梟のトライアル。台詞を噛んだり忘れたり、シーンを飛ばしたり、役の名前を言い間違えたり、様々なトラブルに見舞われながら終演。終演後、観にきてくれた友人たちに意見を聞いたら、「思ってたより悪くなかったです」「普通に観られるレベルでホッとしました」「ストーリーが伝わった」「9月の演劇祭に比べたら格段に進歩している」とのこと。まあ、気を使ってくれての発言もあるのだろうけど、ひとまず成果は得られたのだと思う。安心はできないが。



2005年11月6日[日]
ピースピットハーフイヤーシアター10月ワークショップ『オウルズ・マップ 対抗戦』、チーム駒鳥の発表日。昼から森ノ宮で稽古。夕方から発表場所である庄内の稽古場で移動。とにかくノリと勢いで、ステージングとネタの応酬で見せる贅肉だらけの駒鳥トライアル。時間が経過されて行くにつれ、物量に潰されていく役者たち。きっと悔しい思いを噛みしめたと思う。まったく別々のトライアルで作品に挑んだ今回の『オウルズ・マップ対抗戦』。2チームがひとつになって作品を作る時、お互いのトライアルがきっとそれぞれを助け合うはずだ。決して作品としては褒められた出来ではなかったけれど、『ニャンプー』へと続く大きなうねりが生まれたトライアルだった。



2005年11月7日[月]
歯が痛くて痛くて。今年の三月に居酒屋でなんこつの唐揚げ食ってて割れた上顎右側の第一大臼歯がいよいよ完全崩落してきた。割れた歯が歯茎を傷つけてずっと出血している。早々に抜歯しなきゃいけない。はあ、やだやだ歯医者は。そんなこんなで、HYTは『オウルズ・マップ 対抗戦』が終了。ご来場くださった方々ありがとうございました。貴重なご意見は今後の参考とさせていただきます。一ヶ月間、稽古に励んできたメンバーのみんな、おつかれさまでした。本日は昼から梅田の東急ホテルでDVD映画の打ち合わせ。そのあと、堀部Pと遠藤Pと制作ミーティング。今後のスケジュールについていろいろ話す。「オウルズ・マップ 対抗戦では賞とかあるんですか?」と聞かれて、そういえば「対抗戦」というからには勝敗を決めなくちゃいけないなあと思い、お客さんに書いていただいたアンケートと僕たちの意見を踏まえて【勝利チーム】【男優賞】【女優賞】【敢闘賞】を決めることにした。勝利チームは「梟」。これはもうアンケートで歴然と差が出た。女優賞は満場一致で「花田綾衣子」メンバーに決定。『ニャンプー』での彼女の演技がとても楽しみだ。敢闘賞は梟チームの演出を担当してチームを引っ張った「前田多佳子」メンバー、駒鳥チームで熱演を見せた「桜井こまり」メンバーに。男優賞は「該当なし」。これも満場一致で「男優賞はいなかったねえ」ということになった。10月頭の演劇祭につづく男優賞の該当なしだ。男優陣の巻き返しに期待したい。さて、HYTも折り返し。とても長い三ヶ月だった。残り三ヶ月はもっともっと濃く。いよいよHYTは最終目的地『ニャンプー』に向けて始動……と行きたかったところだけど、『オウルズ・マップ 対抗戦』の結果を踏まえて、『ニャンプー』前にもうひと成長、ワンクッション噛ますことになりそう。堀部Pも遠藤Pも賛同してくれた。昇れば昇るほど山頂が高く伸びていく感じ。先行きは霧中。でも、熱はまだ冷めていない。

制作ミーティングのあと、ぶらりと入った漫画喫茶で衣裳のヨダちゃんに遭遇。すぐ隣に座っていたのにしばらく全然気がつかなかった。そのあと、重田恵と今月下旬に行う一人芝居『屋久島の女』の打ち合わせ。ヨダちゃんも話に加わってあれこれアイデアを出していく。『屋久島の女』は屋久島に実際に伝わる吸血鬼伝説「山姫」と16世紀後半に血の伯爵夫人と恐れられた悪女「エリザベート・バートリ」の狂気の交差を描く物語……になる予定。実はまだ台本が出来ていないのだ。急がねば急がねば。とりあえず、舞台装置のプランが決まった。



2005年11月8日[火]
朝からワイドショーは本田美奈子一色。歌手の本田美奈子さんが白血病のために亡くなられたのだ。38歳だった。みんなの悲しみ具合を見るにつけ、この人はホントに周りから愛されていたんだなあと思う。それにしても38歳。早すぎると言わざるを得ない。一回きりの人生。もっと自由に愉快に暮らさせてはくれないのだろうか。病気・事故・災害・戦争……どうして常になにかの影に怯えて生きていかないといけないんだろうか。まあ、しょうがないか。全部ひっくるめて僕たちの世界だ。せめてそこにある影を吹き飛ばす程に強烈に発光していこう。そして、愛と勇気を持ってして「しょうがないんだ」と謳おう。

東急ホテルにてDVD映画の打ち合わせ。



2005年11月9日[水]
ノートパソコンの調子が悪い。悪いったら悪い。今、お前に逝かれたら僕はもう生きていけない。頼む、なんとか持ち直してくれ。そんなこんなで肝を冷やす日々。パソはなんとか持ちこたえている。『オウルズ・マップ対抗戦』以降、はじめてのHYT稽古。今後の方針や具体的な予定などを決めていく。『オウルズ・マップ対抗戦』でのアンケートやそれぞれの成果をふまえて、しばらくの期間「アメとムチの会」を開いていくことになる。メンバーひとりひとりを順番に槍玉にあげて全員こぞってその役者の表現者としての「長所」と「短所」を指摘していくというもの。こんな大量の人間にこぞって自分に対する意見を聞く機会なんて早々ないからこれはすごく参考になるはずだ。稽古後、居酒屋へ。売込隊ビームの真里恵ちゃんもみんなにアメとムチ。アメは実際にチュッパチャップスを持ってきていた。

夜は『屋久島の女』の脚本と格闘。「この女、一筋縄ではいかないぜ」、などと、うまいことを言おうと思ったけど全然うまく行かなかったのでトイレに籠もって反省しよう。



2005年11月10日[木]

母親が家計を支えるための花キューピットの委託販売員に。拾った子猫と一緒に店を切り盛り。毎日毎日花だけは入荷されてくるんだけど一向に売れなくて、店先が花で溢れかえってしまい、母は子猫と途方に暮れる。という今日の夢。ここで驚いたのは僕の人生でまったく気にも止めたことのない花キューピットがちゃんと「花屋」として登場していたこと。人間の記憶力とは意表をつく偉大さだ。

本日、ついに念願の歯医者に行く。割れた歯を除去してもらいに。血の味を舐めながら暮らしていたこの数ヶ月とようやくおさらばだ。歯が痛くない。それだけでなんと世界が拓いて見えることか。イエー。

夜は『屋久島の女』第一回目の稽古。寒空の扇町公園にて。一人芝居の稽古なのでもちろん役者一人・演出一人。照れなくてもよいのだがなんか照れた。まあ稽古をはじめたらエンジンかかってきて照れも少なくなったけど、一対一でじっくりできる分、時間もたっぷりあるのでなんかすぐに休憩を入れてしまう。休憩知らずの演出家として役者から嫌がられる僕だけど、こんな休憩休憩の多い稽古もはじめての経験だ。一人芝居の稽古はペースが独特。おもしろさも独特だ。久しぶりの要求した演出が一発で通る現場でもある。演出家としてストレスもほぼない実に有り難い創作の現場。楽しくてしょうがなかった。重田恵一人芝居『屋久島の女』はかなりいい感じに仕上がりそう。あと二週間。照れながら、演出しまくる。

稽古後、見学に来ていた衣裳のヨダちゃんと重田の三人で打ち入りの飲み会。餃子が旨かった。






2005年11月11日[金]

早朝、『ニャンプー』の本チラシ作業。表面のデザインができあがる。あとは裏面。裏面がめんどくさいんだよなあ。文字データとかが多くて。でも、あと一踏ん張りだ。かつてない雰囲気のチラシができそうで早く入稿したくてたまらない。チラシ作業のあと、昼まで『屋久島の女』の作業をして、正午からDVD映画の脚本第二稿の作業。3時から東急ホテルでDVD映画の打ち合わせ。夕方からHYTの制作ミーティング。HYTでは恐るべきの物量の企画が進行している。大変だけどみんながいるとなんとかなるだろうって気になってくる。いつもピースピットでひとりでやっている時にできなかったあんなことやこんなことを実現させることができる。これがチームの力か。ミーティングを終え、どしゃ降りの雨に濡れながら「あれもしな」「これもしな」と思案に耽る。やれることからやっていこう。

愛読書『広告批評』が毎年恒例の「世界のコマーシャル」シリーズ。また今年もあんなCMやこんなCMが目白押しだ。それにしても、今月号は表紙デザインがぶっ飛んでて感動した。ああ、感動したさ。






2005年11月12日[土]

早朝、『ニャンプー』の本チラシの裏面作業。写真データだけでも27人分あるので加工・配置が一苦労だ。あと三日はかかりそうな雰囲気。先は長い。根負けして仕事が雑にならないように気をつけよう。

昼から『屋久島の女』の稽古。うちの近くの公園で稽古していたんだけど、やっている間に子供たちがうようよ集まってきてやりにくいことこの上ない。てくてくと近づいた子供に「なにやってんのん、変なおばはーん?」と放言された重田はショックを隠しきれない。そりゃ君らから見たら俺らおじはんおばはんさ。重田なんか下手したら君らの一人や二人産めてるからね。でも、おじはんとおばはんはがんばって君らのためによりよい未来を作ろうと思っているんだよ。まあそんな感じで重田は昼下がりののどかな公園でチビッコたちの注目を一身に集めていたのである。『屋久島の女』は、もしかしてすごい芝居になりそうな予感もするんだけど気のせいだろうか。知人にそう話したら「あなたの芝居はあなたが面白くないって言っている時の方が面白い作品になってるからねえ」と言われたので、その理論でいくと僕が面白くなりそうと感じている今回の芝居は面白くないのかも知れません。うーん、負けるもんか。

夕方からHYTのメンバー数人と集まって『ニャンプー』脚本会議。今日はニャンプーの脚本会議。いつもはひとりで考えるけど、せっかくHYTというチームでやっているのでメンバーにもアイデアを出してもらうおうということで本日会議と相成ったのだ。前田・栗山・岡上・山田・竹千代メンバーらと頭を付き合わせてアイデアを出していく。原作絵本の構想を元にストーリーを演劇的に再構築しなければらなない。とりあえず、ジュブナイルムードを高めるために『天空の城ラピュタ』をテレビに流しながら打ち合わせてたら、ラピュタのプロットの計算され尽くした隙のなさに感動。気を抜くとすぐにラピュタっぽい話しになりそうになる。いかんいかん。ラピュタに負けない作品にしたいけど、ラピュタみたいな作品にならないようにしないと。脳味噌をシェイクして仕切直しだ。といいつつ、今からまた『屋久島の女』の作業をしないといけない。

写真の中央下のちょぼんと立っているのは稽古中の重田。風が強くて台本が飛ぶ飛ぶ。






2005年11月13日[日]

午前中、DVD映画の脚本第二稿の作業。10時半よりHYTのオリエンテーション。宝塚から旧福知山線廃線跡をたどっていくハイキング。渓谷沿いの廃線をてくてくと歩いていく。途中にいくつかトンネルがあり、懐中電灯の明かりを頼りに進んでいく。廃線の散歩道も終盤に差し掛かったところで、古びた鉄橋が現れる。まるで『スタンド・バイ・ミー』のようなノスタルジックな景色が惜しげもなく登場して、ちょっと異世界に迷い込んでしまったような錯覚に陥る。廃線跡を越えると武田尾温泉。ボロボロの温泉宿で湯を借りる。宿泊パンフレットのJRの表記が「国鉄」のままだったり、イノシシの剥製や奇妙な人形が飾られていたり、まるで二十年前から時間が止まっているかのような古旅館の風情。僕たちの知らない間にタイムスリップでもしてしまったみたいで、言いしれぬ不安感に包まれる。

オリエンテーションのあとは、『屋久島の女』の稽古。今回の一人芝居フェスティバルに参加を決めた時、いろんな人から「笑いで攻めた方がいいですよ」「笑い取りにいった方が勝ちです」「笑いの要素は入れるべきです」と言われて。笑いは好きなのでいつも作っているうちに自然に入ってくるんだけど、方々からそのようなことを言われると逆に笑いを入れるのが悔しくなってくる。じゃあまず、変に天の邪鬼だと損するよと言われても今回は自分へのトライアルとして「笑いは入れないこと」とした。笑いは好きだけど、僕は芸人じゃなくて演劇者だ。せっかく「一人芝居」という演劇でもっともシンプルな枠組みに挑戦するのだからここはひとつシンプルに役者の「演技」だけで勝負しよう。そう思って今回の『屋久島の女』を作りはじめた。そんなわけで、僕的にははじめての「一切笑いがない作品」。演技だけでも観客を魅了させることができる「演劇」でありたい。そんなわけで、残酷で美しい血の官能ホラー、そんな『屋久島の女』です。

あ、一人芝居フェスティバルの情報は
こちらでご覧いただけます。






2005年11月14日[月]

『ニャンプー』の配役はすべてオーディションで決めることになっている。でも、先日の『ニャンプー』脚本会議の時に「もしこの役をやるならどの人がよいだろうか?」というイメージキャストを決めながらキャラクター設定などを考えていたんだけど、会議に居合わせたメンバーの口からそれがさも決定事項として伝わってしまって、メンバー間に動揺を走らせることとなる。とりあえず、「勝手なこと言ったの誰?」と怒りのメールをメーリングリストで回さなければならない羽目になったんだけど、殺伐としたムードはホントやだやだ。

第三回『屋久島の女』の稽古。冒頭近くで主人公が「舞う」シーンがあって。そのシーンの振付のために日舞の経験があるHYTの立花明依メンバーに登場いただいた。立花メンバー、ありがとう。その立花メンバー指導の元、その「舞い」のシーンを振り付けていく。うん、いい感じだ。今日登場した小道具「扇子」が結構いろんなシーンで使えるなあということになり、それに併せて演出も調整していくことになる。

稽古終わりにみんなでラーメンを食べに行った。揚子江ラーメン「名門」の排骨麺は絶品だ。






2005年11月15日[火]

尻にニキビのようなものができて、椅子に座るとちょうとそこが当たって痛い。これが俗に言う「おでき」ってやつだろうか? 気になったので辞書で調べてみた。

おでき【御出来】
皮膚にできて、膿(うみ)をもつ腫(は)れ物。できもの。
「―ができる」

ハーフイヤーシアターの仮チラシの印刷のために集まるも輪転機のある生涯学習センターが休館日。川村メンバーと帰りにスパイス飯店のタイカレーを食べて帰った。

コミックビームが創刊十周年。前身のアスキーコミックからはじまり、創刊号を手に取ってから毎号欠かさず読み続けているのでもう十年以上読んでいることになる。感慨もひとしおだ。写真じゃちょっとわかりずらいけど、表紙がものすごい凝っている。コミックビームの表紙デザインは毎回趣向を凝らしまくっててホントすごい。






2005年11月16日[水]

今日は売込隊ビームの梅本真里恵ちゃんを講師に招いての月替わりワークショップ。真里恵ちゃんとは数日前からちょっとだけ内容の打ち合わせをして、稽古時間の三時間を丸ごと真里恵ちゃんに仕切ってもらった。みんなは楽しいゲームにエチュードにと割とホットになっていたけど、そんなみんなからは一歩引いて見ることにしていた水を差すのが得意な僕だ。真里恵ちゃんはホントに彼らのためにいろいろ考えてくれて、あの手この手のワークショップを考えてきてくれていた。心底ありがたかった。僕は彼女の人を思いやるその深さに感動した。でもそこには誰か引っ張ってくれる人がいると我先にそれに飛びつくみんなの姿もあった。先生と生徒の構図ができあがっていた。まあ、僕も冗談で「真里恵先生、ではよろしく」なんて言っていたのだけど。稽古場では、彼らが表現者として独り立ちするための様々な装置を用意する度に、みんながそれに盲目的に飛びついてしまう。その姿勢は「創作」とはかけ離れたものだ。やればやるほど出口が見えなくなる。まるでエッシャーの騙し絵のように出口のない「表現」という名の迷路だ。竹千代メンバーや桜井メンバーのように、用意された装置を自分なりに租借して利用して一段上がってきそうな気配も見せている者もいた。でも今日のワークショップの僕としての最大の発見は、真里恵ちゃんは元気があって機転が効いてとてもよい子だなあということだった。そこには非常に刺激をもらった。また彼女と作品を作りたいと心からそう思った。HYTのメンバーからは、申し訳ないが演出家として今日も刺激を受けることはできなかった。「この材料でカレーを作れ!? 無理だよ、野菜もルーもないじゃん!!」そんな途方の暮れ方だ。HYTの主宰としてはこれからみんなと作品を作る上で、とてつもないジレンマだけが残ったことは確かだ。

たぶんHYTメンバーの多くは物作りをする人間ではなく、気持ちよくて楽しくて感動的な思い出を作りに来た人たちなんだろう。そういう人たちにどんなに喉を潰して「一緒に物作りしようぜ」と叫んでものれんに腕押しなのかも知れない。基本的に演劇で苦労することが嫌なんだろうな。そりゃそうだ。普段、学業や仕事やバイトでしんどい思いをしてきて、趣味の時間まで辛い思いをしたいわけがない。僕も腕に鉄アレイしてスクワットしながらのプレステなどやりたくもない。プレステする時はのんびりリラックスして興じたい。みんなと演劇との関係はそういうものなのだろう。僕は割り切ることにした。思い出を作りに来た人にはよい思い出を作ってあげる「提供者」であろう。物作りをしようとしている人には今まで通り1ミリでもよい作品を目指して頂上のない山を登る「表現者」として接しよう。それでも、やはりお客さんには素晴らしい作品を届けよう。

でも、みんなもがんばっている。がんばっているのだ。『オウルズ・マップ 対抗戦』以降、自主練をしたり能動的な動きもみせてくれている。そういう意識がもっと早い段階で深く広く浸透していればよかったのだけど。とにかく僕はみんなとの関わりに線引きをすることにした。だから、もう今までのような厳しいことは言わなくなると思う。残された二ヶ月半を楽しく有意義に過ごしてほしい。

この奇妙な線引きが良いものなのか悪いものなのかは僕には正直わからない。前進なのか後退なのか。僕を表現者として懐の深い人物に成長させるものなのか、その精神を腐敗させるものなのか。まあ、いろいろやってみよう。鼻歌でも歌いながら。




2005年11月17日[木]

朝9時、一昨日から寝ずにかかりっきりだったDVD映画の脚本改訂稿が完成。そのあと、仮眠を取って昼1時から『ニャンプー』本チラシのデザイン作業。HYTメンバーの写真の質感を一枚一枚補正していく。こうしてみると、ホントにいろんな顔がいるなあ。

夕方、『ニャンプー』の本チラシがほぼ完成。あとはぴあのPコードが出るのを待って文字校正するだけ。週末には入稿できそうな感じだ。

夜。大竹しのぶさんの主演舞台『母・肝っ玉とその子供たち〜三十年戦争年代記』で関西に来ていた保村大和さんと梅田で待ち合わせて飲みに行く。久しぶりに合う大和さんは相変わらず柳のような自然体だった。せっかくなので近しい友人に声をかけてみんなでああだこうだと近況などを報告しあう。みんな元気でなによりだ。なんだか何年かぶりに同じ言語の人たちと語らうかのようなホッとした感覚。最近いろいろ悩んで凝り固まっていた心に血が通った感じがした。写真は右から僕、スポンヂ舞台の藪井寿一さん、保村大和さん、宇田尚純さん、音響家のAlain Nouveauさん。『母・肝っ玉とその子供たち』はその和風なタイトルとは裏腹に、ベルトルト・ブレヒトの作。兵庫公演は11月20日まで。東京公演は新国立劇場・中劇場にて11月28日〜12月11日まで。詳しくは
新国立劇場HPまで。






2005年11月18日[金]
HYTの稽古。20日は『有毒少年対抗戦』だが、それは当日の稽古だけで本番をやるというトライアルなので前段階での稽古はない。最近のHYTはクリスマス会の出し物の練習を重ねる日々。いやいや、クリスマス会といえどこれも立派な稽古なのである。僕は前田多佳子メンバー作のコントに出演、立花明依メンバーの『屋久島の女』とローテクミュージカル『眠りの森のミルちゃん』を作ります。『眠りの森のミルちゃん』の稽古では珍妙なローテクソングが飛び交ってます。「♪眠りの森からやってきた〜」「♪パッパヤーパッパヤー」



2005年11月19日[土]
精華小劇場にて「デス電所」を観劇。人づてに評判だけは聞いていたんだけど、実際に観るのははじめてだった。評判通り面白かった。評判通りダンスがかっこよくて、評判通り音楽がかっこよくて、評判通りTシャツがナイスなデザインで、清々しいばかりの評判通りっぷりだった。客演の奥田ワレタさんはとても良い女優さんだ。もう普通に見惚れてた。いろんな劇団に客演でひっぱりだこなので、いろんな劇団の演出家の人が見惚れているのだろう。そういえば、ワレタさんにはピースピットに一回出てもらっている。なんてことを忘れるくらいあの時のワレタさんと最近のワレタさんは僕の中で乖離している。なんでかはわからない。帰り際にHEPの丸山さん、星川さん、麻木さんたちに遭遇。会釈だけして劇場をあとにする。はじめて行った精華小劇場は芸術創造館に似ているなあ。

うどん屋で釜揚げうどんを食ったあと、ユニクロで買い物。その間、あちこちの稽古場に電話。明日の稽古場が手違いで用意できていなかったから。なんとか尼崎の稽古場が取れる。

夜は『屋久島の女』の稽古。稽古は見た目地味ながら心の中では非常に白熱している。



2005年11月20日[日]
尼崎の稽古場にてHYTの稽古。稽古前に少し早く集まって脚本会議。そのあと、『有毒少年対抗戦』松組の発表。事前稽古なしの当日稽古・当日本番。二時間の芝居をほぼ即興でやるわけだからまあグダグダになるのは仕方がないとしてその場でいかに「その場」に対して責任を持ち、舞台表現者としてドライブできるか? というトライアル。当社比ではがんばっているメンバーが数人いた。でも、やはり本番の舞台ではこのままでは通用しないぬるいトライアルに終わったと思う。HYTのメンバーはよく「プロの役者さんはすごい」みたいなことを言う。そこには自分たちはプロじゃないのですごくなくても当たり前という甘えが潜んでいる。僕の知り合いには「プロ」でなくてもすごい役者がいっぱいいる。「表現で食っていきたいなあ」と思ってはいても、食えてないからといって表現に対する姿勢は決してゆるめない。バイトしながらでも自分が精進するための方法を模索し続けている。「プロ」だの「アマ」だのごたご言っている暇があったら、「プロ」よりもすごい「アマ」になればいい。そもそも表現するのに「プロ」も「アマ」も関係ない。

稽古後、駅前の居酒屋にて梅本真里恵ちゃんとDM用の新聞「ピースケ!」のための対談。時間がなくてあまり十分に話ができなかった。



2005年11月21日[月]

夕方。タップハウスにて『ニャンプー』本チラシを下版。ようやく大きな肩の荷がひとつ降りた。扇町公園にて『屋久島の女』の稽古。すぐ傍ではHYTのクリスマス会で上演される『ピースフルドリーマー・スクロールズ・トゥ・ヘブン』のメンバーも練習していた。稽古後、HYTメンバーと一皿130円の回転寿司屋でしこたま食べて飲んで、深夜2時半、就寝。夢も見なかった。




2005年11月22日[火]
朝4時半、起床。HYTのDM用の新聞をデザイン。昼から難波のスポーツセンターにて来年クランクインのDVD映画のための殺陣講習会。主演の女優さんとはじめてお会いしたが、大変感じのよいお嬢さんで製作スタッフのやる気が俄然上がった。ガゼン、ガゼンと、口からガゼンって擬音が飛び出す勢いだ。同じく出演するイエローキャブウェストの子がどこかで観たことある顔だなと思ったら、数年前に友人と飲みに行ったバーで働いていた子だった。不思議な縁だ。

夕方から庄内の稽古場にて『屋久島の女』の稽古。ヨダちゃんが衣裳を持って現れる。血のように真っ赤な衣裳。これまたいい感じだ。衣裳の扱い方によって演出にも幅が出てきた。ナイス衣裳だ。小道具も揃い、通し稽古を二回。僕的にはやっぱりかなり面白い作品だと思うんだけど、僕が面白いと思った作品は他の人が観たら面白くない場合が多いらしいので用心してかからねばならない。上演時間は30分。まあ、とにかく重田はいい役者だ、ということで。

僕らが『屋久島の女』の稽古している横でHYTメンバーが制作作業をあれこれやってくれている。みんなありがとう。稽古後、家に帰って速攻で『屋久島の女』の曲編集。このあと、HYTのメンバーが僕んちに来て深夜の突貫予定。明日は緊急で入ったDVD映画の脚本第三稿をマッハで仕上げて、『ニャンプー』をなんとか今月中にあげたいのだ。



2005年11月23日[水]

夕方から劇場にて『屋久島の女』のゲネプロ。間延びしまくって30分の上演のはずが40分に。ちゃんと通れば30分に収まるはずなのでまあ大丈夫だろう。ゲネプロが終わってホッとしたのも束の間、小道具の仮面が重田の手からつるりとこぼれて落下。見事に割れる。陶器だから。あーあ。




2005年11月24日[木]

『屋久島の女』の本番。重田恵は本番前に京都まで行って昨日割れた仮面の代替品を買いに行く。なんでも、割れた仮面も仕事でたまたま京都に行った時に、京都タワーの下の土産物屋で買ったそうな。でも、今回はわざわざそれだけを買いに京都へ。

片岡百萬両くんと坂本見花さんの『夕暮れ鬼とテディベア』は奇跡のような出来映えだった。相容れないはずの水と油がなにかの拍子に混ざり合って、誰も飲んだことがないスープができあがったような瞬間。




2005年11月25日[金]

『屋久島の女』は本日休演。でも一人芝居フェス自体はやっています。夜はハーフイヤーシアターの稽古。『屋久島の女』に『ニャンプー』にクリスマス会にDVD映画にいろんなデザイン作業にと、脳味噌がぐるぐるシャッフルされて、なんか耕されていく感じが心地よい。




2005年11月26日[土]

『屋久島の女』の本番。2ステージ目。試みたことが裏目に出て、なんだかうわ滑った感じの芝居になってしまった。これも演劇界に巣くう二日目の魔物の仕業なのか? まあなんと生ものなのだろうか?






2005年11月27日[日]

早朝。DVD映画『LOVERS and KILLERS 赤龍の女(仮)』の脚本第三稿を長谷川プロデューサーに送信。映像の脚本はいつもやっている演劇の脚本とはまたちがった作製プロセスで、おもしろい。

午前中。『屋久島の女』の選曲修正作業。作業が押してしまって劇場入りがギリギリに。しかも、携帯を忘れて出たもんだから重田に連絡もできず。不安にさせてしまって申し訳ない。重田恵一人芝居『屋久島の女』は最終日。昨日の反省を踏まえて軌道修正を行う。勝手な注文をああだこうだと言うだけ言うと、あとはもうすべてを重田に託すだけだ。本番がはじまると『屋久島の女』はまた別の姿に変貌を遂げていった。自分で作った芝居なのにそんなことを忘れて、僕はただただ見惚れるだけだ。なんて感動なんだろう。僕は客席にいながら、なんだか演劇の核心のようなものに指先が触れる感じがした。よく「神がかる」と表現する時があるけど、今回の一人芝居、重田も片岡くんも神がかっていたのか。このふたつの芝居を生で観られただけで、演劇をやっててよかったなあと思う。僕は幸せだ。

僕の中で今後の演劇感を大きく左右するエポックメイキングな三日間だった。

本番を終えたのちに、HYTの稽古へ。『有毒少年対抗戦』花組の発表。前回「松組」の教訓を生かせず。暴は天国と地獄を行ったり来たりだ。






2005年11月28日[月]

自宅にてDM用新聞のデザイン作業。夜、伊藤えん魔さんのラジオ番組にゲスト出演。ジャンクフードについてグダグダ喋ってきた。なんの話をしただろうか。ミルクセーキをなんか無駄に熱く語っていたのだけうっすら覚えている。まあ、舞い上がっていてなにも覚えておらず負け気分で帰ってきたという話だ。ラジオ後、HYTメンバーと近所のミスタードーナツで打ち合わせ。新聞。新聞。新聞が終わらん。







2005年11月29日[火]
夜通しHYTのDM用新聞のデザイン作業。朝方、ようやっと完成。HYTの竹千代メンバー、立花メンバーに家まで来てもらって文字構成を行う。昼、ニャンプーの脚本作業。夕方に印刷所に行って新聞を入稿。

いろんな作業を進めながら、合間合間に全然別のプロット作業を毎日5分づつ進めている。とある漫画作品を実写映画化するための作業。いや、映画化の予定は今のところ全くないんだけど、脚本ができたらとある映画監督の方に持ち込んでみようと考えている。直感なんだけど、この計画、うまく行くような気がするんだが気のせいだろうか?

広島の小一女児殺害事件でペルー人男性がヤギ・カルロス容疑者が逮捕された。



2005年11月30日[水]
願わくば禿げんでくれと禿げんでくれと祈りつつ、禿げという輩はひたひたと背後を取って急転直下のバックドロップをくらわせてこようとするわけで。対「禿げ」戦はいつも臨戦態勢なわけである。気が抜けん。毛も抜けん。でも、まあこれは自然の摂理。がんばって人生を生きている勲章みたいなもんだと諦めるしかない部分もある。親父も禿げている。そりゃ、禿げるわな。前略おふくろ様、人間、禿げるときはまあ禿げます。演劇やっている身としては芝居の時は、帽子、づら、プロピア、禿げなどを役に応じて使い分けていこうとか、そんな算段も取り始めている。「I can flay!」以前の窪塚洋介くんを見習って。あれは禿げではなく刈っての坊主であったが。とにかく、来るべき日に備えて「禿げない」「禿げるかも」「禿げてきたかも」「禿げました」「禿げてました」ともう予防線はりまくる気まんまんだ。「あれ、産まれた時から禿げてませんでした?」と言われんばかりにイメージのすり替えを。そんな訳で日々薄くなる頭髪に憂うばかりではあるけれど、完全に禿げる前に子供の頃からの夢だったストレートパーマを今度当ててみようと思う。くるくる天然パーマで三十年、それはただひたすらサラサラヘアに憧れる月日でもあったわけである。

そういえば昔、禿げの喪失感と失明で光を失う喪失感が同等のものだろうという見解をこの日記で書いて、お客さんにえらい剣幕で怒られたことがある。「禿げと失明を一緒にしないで!」。でもここだけの話、僕は数年前に過労が祟って目を患ったときに「失明も覚悟しておいてください」と失明宣告をされたことがあって、それはまあ目の前の世界がぐるんと逆さまになって喪失感の空に落っこちてしまいそうになったことがある。失明の喪失感に苛まれ、そして禿げゆく今思うことは、禿げも失明もやっぱり大きな喪失感を伴うということだ。僕たち人間はその時その時でそういった喪失感と向き合っていかなくてはならない。







 

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